本日発売のイブニング21号に掲載された【ゆうきまさみ×松浦だるまスペシャル対談】の〔完全版〕を公開!
2014/10/14 00:00
本日10月14日(火)発売の「イブニング」21号にて、大反響をいただいている『累 —かさね—』の④巻10.23発売記念企画として、ゆうきまさみ氏と松浦だるま氏のスペシャル対談が実現しました!
ゆうきまさみ氏が審査員を務めた「第12回イブニング新人賞」で、松浦だるま氏が優秀賞を受賞。
これをきっかけに、2013年から「イブニング」で『累 —かさね—』の連載がスタートし、「美醜」をテーマとした人の内面をえぐる物語が大変な反響を呼んでいます。
今回、本誌での対談記事では入らなかった部分を含めたスペシャル対談〔完全版〕を、特別に公開!
「見出せし者」と「見出されし者」、2人のスペシャルトークをご堪能ください。
※1 まんが画廊
かつて江古田にあった喫茶店。漫画好きアニメ好きの若者や業界人が集った伝説のお店。ゆうきまさみ、川村万梨阿、しげの秀一らが常連であったことで知られる。
※2 月刊OUT
1977年から1995年にかけて発行されていた日本初のアニメ雑誌。投稿主体でアニパロなど独自の文化を生み出した。ゆうきまさみが持ち込んだ4ページアニパロが、中2ページを抜いて掲載され、それがゆうきのデビュー作となった。
※3 しげの秀一
代表作に『バリバリ伝説』『頭文字D』などを持つ人気作家。現在は「週刊ヤングマガジン」にて『高嶺の花』を連載中。
ゆうきまさみ氏が審査員を務めた「第12回イブニング新人賞」で、松浦だるま氏が優秀賞を受賞。
これをきっかけに、2013年から「イブニング」で『累 —かさね—』の連載がスタートし、「美醜」をテーマとした人の内面をえぐる物語が大変な反響を呼んでいます。
今回、本誌での対談記事では入らなかった部分を含めたスペシャル対談〔完全版〕を、特別に公開!
「見出せし者」と「見出されし者」、2人のスペシャルトークをご堪能ください。
【ゆうきまさみ×松浦だるまスペシャル対談】
〔完全版〕その①
〔完全版〕その①
楽しんで漫画描いてるな、と
——まず始めにお2人に質問なんですが、漫画家になったきっかけというのをお聞かせください。
- ゆうきまさみ(以下、ゆうき)
- 昔、江古田にまんが画廊(※1)という喫茶店があって、そこに行って落書きとかしてるうちに、商業誌をやってる知り合いが僕に目をつけて、「月刊OUT」(※2)っていう雑誌で描ける人を捜してるから、やってみる?って聞かれたんで、じゃあやってみよっかって。その時は僕はまだサラリーマンやってたんですけど。
- 松浦だるま(以下、松浦)
- じゃあ本当にふとしたところから。
- ゆうき
- それでネームを持って行って「こんなんでいいですか?」って言ったら「こんなんでいいです」って言うから。
- 松浦
- (笑)。
- ゆうき
- あれはいつくらいだったのかなぁ~。描いて持ってきますって言って、まあ4枚ほど描いて持って行ったら、中の2枚が抜かれて掲載されるっていう。
- 松浦
- えー!!
- ゆうき
- 中の2枚が抜かれても、パロディなんでね、わりかし……。
- 松浦
- 成立するんですか?
- ゆうき
- 成立しちゃったんですよ。ひどい話なんですけどね。
- 松浦
- でもショックですよねぇ。
- ゆうき
- でもねぇ、そういうもんなのかな、みたいな感じで……(笑)。
- 松浦
- 受け入れてしまわれた。
- ゆうき
- 受け入れてしまいましたねぇ。本当に1ページ1ページで独立したものだったんで、まぁ、そういうこともあるのかなぁ。間の2枚はまずかったのかなぁ、みたいな(笑)。
- 松浦
- でもなんか凄いですね。そこから始まって、ずーっと。
- ゆうき
- それが1980年の2月くらい。
- 松浦
- 私がまだ影も形もない頃ですね(笑)。
- ゆうき
- おー! 何年生まれですか?
- 松浦
- '84年です。キャリアの差がすごい……。
- ゆうき
- その後も、人の紹介とかで次々と仕事を貰っていて、そのうちのひとつに少年サンデー編集部があって、そこからきっかけが出来て、「少年サンデー」に描くようになって。まあ、わらしべ長者じゃないですけど(笑)。
- 松浦
- (笑)。
- ゆうき
- 「OUT」から「サンデー」までは、ずいぶん長かったと思ったら、後で勘定してみたら3年くらいなんですよ。'83年に「サンデー25」っていう「少年サンデー」の25周年記念増刊号ってのが出まして、それに噛ましてもらったのが最初なんで。それがたしか'83年の年末近くだったと思うんですけど。
- 松浦
- サラリーマンはその時くらいまで?
- ゆうき
- '82年まではサラリーマンだったのかな。
- 松浦
- じゃあそこでやっていくぞ、と。
- ゆうき
- やっていくぞっていうか……。サラリーマンを続けにくいなぁ、という状況になっちゃって。それに、2年分くらいの貯金ができたんで。やってみるか的に会社辞めて(笑)。
- 松浦
- やっぱ蓄えないと怖いですもんね。
- ゆうき
- 僕は蓄えなかったら、この道に踏み込まなかったと思います。松浦さんの始めたきっかけっていうのは?
- 松浦
- 私は、元々漫画家になるのが夢だったんですね。でもほとんど何もしないまま大学まで来てしまって。で、大学を中退したんですけど、それをきっかけにして、じゃあやってみようかなぁと思って、描いて持って行ったのが、あの、新人賞をいただいた作品(『チョコレートミントの初恋』)なんです。
- ゆうき
- それまでは描いてなかったんですか?
- 松浦
- それまでは落書き程度のものっていうのは描いてたんですよ。ストーリー漫画で1本の完成原稿っていうのはこれが初めてです。
- ゆうき
- じゃあ第1作目?
- 松浦
- そうです。だから正直ちょっと信じられなかったです。最初、選んでいただいた時。
- ゆうき
- 僕はねぇ、19歳くらいの時に描いた『宇宙戦艦ヤマト』のパロディ漫画っていうのを、コピーで5部くらい作って友だちにバラまいた。それがペンで最後まで描いた初めての漫画。
- 松浦
- そうなんですか。同人みたいですねぇ。
- ゆうき
- 同人どころじゃないですね。売りもしないで配っただけですから。
- 松浦
- 何ページくらい?
- ゆうき
- 何ページかなぁ、でもね、後で見たら結構ページ数あったんですけど。
- 松浦
- 貴重ですね。見てみたいです。
- ゆうき
- 後から、どこかのサークルから誘われて復刻みたいにして出したことはあるんですけど。それがペンで最後まで描いた初めての漫画。
- 松浦
- じゃあ、その5部の貴重なのを初めて見た方の中に「ヤバい人がいる!」ってなって(笑)。
- ゆうき
- そのまんが画廊っていう喫茶店の常連の友達に受けたのが嬉しくて、なんかまたボチボチと描くようになった、みたいな。
- ゆうき
- うん。しげの秀一さん(※3)とかはそこで知り合ったんですよ。
- 松浦
- ええ~。デビュー前、ですよね。
- ゆうき
- デビュー前から。同じアパートの一室で、一緒に漫画描いてたこともありますから。
- 松浦
- 凄い繋がりですねぇ。
- 松浦
- ありがたいことに。
- ゆうき
- こういうのって結局、最後は好みになっちゃうんですけど、僕が最終選考をした3作の中では、純粋に面白さでは1番なんです。やっぱり。比喩とかそういうのもどんどん出てくる漫画でしたし。作画とかそういうのよりは、楽しんで漫画描いてるな、と。
- 松浦
- 第一に、え、な、何で、信じられない!みたいな気持ちはやっぱりあったんですけど。なにしろ客観的に自分を見られていないわけですね。最初の作品は特に。だから全然自信もなくて、でも、評価していただいた言葉の中で「マンガマンガしている」と仰っていただいて、それがもの凄く嬉しかったんです。漫画らしいものを描きたいと思っていたんで。
- ゆうき
- はいはいはい。
- 松浦
- それで本当に勇気をいただけて、それでチャンスもこうやっていただけたので。
- ゆうき
- 僕、『累』が始った第1回目見て、凄い完成度で出てきたものだなぁ、と思いましたね。
- 松浦
- 恐縮です。
- ゆうき
- 受賞作を覚えてましたから。で、プロになって「担当が付いて漫画を描く」ってこういうことなんだなぁって、改めてちょっと思いましたねぇ。
——まんが画廊もいろいろな方が集われていたと聞きますが?
——松浦さんもこれがデビュー作で、(ゆうき先生に)見出してもらったわけですよね。
——ゆうき先生は、松浦さんのこの作品、どこを1番評価されましたか?
——じゃあ、逆に松浦先生は評価されたことに対して、どうでしたか?
※1 まんが画廊
かつて江古田にあった喫茶店。漫画好きアニメ好きの若者や業界人が集った伝説のお店。ゆうきまさみ、川村万梨阿、しげの秀一らが常連であったことで知られる。
※2 月刊OUT
1977年から1995年にかけて発行されていた日本初のアニメ雑誌。投稿主体でアニパロなど独自の文化を生み出した。ゆうきまさみが持ち込んだ4ページアニパロが、中2ページを抜いて掲載され、それがゆうきのデビュー作となった。
※3 しげの秀一
代表作に『バリバリ伝説』『頭文字D』などを持つ人気作家。現在は「週刊ヤングマガジン」にて『高嶺の花』を連載中。
【ゆうきまさみ×松浦だるまスペシャル対談〔完全版〕】
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